chiipuri’s diary

気の向くままにつづる日々のあれこれ

通りすがりのレィディ - その1←たぶん

先生スマホ持ってる?

単刀直入な質問に正直に答えるよりほかなかった。

今まで、ラインやってますか?とかスマホで調べればいいじゃん、とか、

持ってること前提で生徒たちが話をしてくるので

やってないよとか辞書で道草するのが醍醐味じゃんなどといって適当にはぐらかしていた。

 中1の彼は、私が想像していた以上の驚愕の声を上げ、賑やかな教室が一瞬だけ静まりかえった。

そこから彼の猛烈な説得が始まった。

せめて子どもにはマジで持たせたほうがいいよ、持ってないと仲間に入れないよ、などと、いつになく何とかしてあげなければという焦りと切実な表情で訴えてくる。

親身なその顔が真剣になればなるほど、反抗期の子どものように私はどんどん冷めた気もちで、スマホやケータイがどれだけいいものかを尋ねた。

だってなかったら出かけたとき道に迷うじゃん、と。

聞けばいいじゃん。

はぁ?恥ずかしくない?!

それは見知らぬ人に声をかけることがか。

 多くの若者がもしそう考えているのだとしたらそれは由々しき事態ではないでしょうかと、わたしはこの瞬間に携帯を所有しない気持ちをいっそう固くした。

危惧しているのは…といろいろ考えたのですが、まとまらないだけでなくこれが年を重ねて「最近の若い者は…」というあれかと思ったのでちょっと頭冷やすことにします。

なぜかこの日とてもさみしい気持ちプラスそんな気持ちを奮い立たせたい気持ちがあったのか、仕事帰りのスーパーの駐輪場で思い切って人に話しかけてみたんです。

というのも、私が買い物を終えて帰ろうと自転車を出すときに、隣の自転車の60代くらいの女性が、清算済みの買い物かごから自分の自転車の荷台に移しており、そこに大量のいわしを見たから。

この人はいわしをどう調理するのだろう?ほんのちょっと迷ってから、すみませんと声をかけた。すると女性はびっくりして「邪魔でしたか?」と慌てて答えた。

私はいわしの調理法をおそるおそる尋ねてみると、梅干しとしょうがとにんにくと一緒に煮るのだと言った。そして、お子さんがいらっしゃるのならば骨が小さいので取って差し上げるといいと思いますと、丁寧に忠告をしてくれた。

ささやかな交流になんだかとてもうれしくなって、そのとき以来そこに来ると思い出したりして。その場所の印象が何となくよくなったりして。そうそう、そう自分が感じたところが何とかスポット(風水的なやつ)だよね、などと思ったりして。(極論?)

これからもときどきだれかに勇気を出して話しかけてみようと思った次第です。

そして残念だったりはたまた憤りを覚えるリアクションだったりするときにもまたここで報告させてもらおう…!←読み手に当たろうとする人

それと、見ず知らずの人とのささやかな会話で思い出したこと、

だいぶ前になっちゃうんですけどね、スーパーで商品を買い物袋に詰めているときに、近くの女性が少し手を止めてきょろきょろしていたんです。するとすかさず少し離れた台のほうからおばあちゃんが、箱探してるの?と声をかけたのです。その会話でわたしも女性のほうを見ると、桃だったか何か果物を手に持っている。(記憶が定かではない)うん、つぶれちゃうから…と女性が返事をすると、あそこにあるよ、と指をさした。そのときに言った女性の「おばちゃん、ありがとう!」という声の清々しさ。ちょうど井出達もポニョに出てきたそうすけのお母さんみたいなね。

だいたい商品を袋に入れるときは誰もが黙々と目の前しか見ているというのに、周囲の様子に気づくなんてお母さんやるなぁと感嘆したのを覚えている。その勘や親切心みたいなものをわたしも見習いたいなぁ。こころの余裕がないとなかなかできることじゃないよね…。

 

おお、ネットで興味深い記事を見つけたのでご紹介させていただきますね。

digitalcast.jp

個人的で感覚的なものかと思っていたけど、こんなことにも合理的な行動といえる理由があったとは…。

さりげなく英語の勉強になるところも個人的に大いなるツボです。

関心があるテーマの英文が読める(しかも読みやすい和訳付!)ってうれしい。

 

表題は小さいころ姉の本棚にあった本のタイトルから。新井素子、一冊も読まなかったけど、ちょっと読んでみるかなー。