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自分の身体の一部を切り取るなんて思いもしなかった、なんでこんなことになったんだろう、とつぶやいた。
それは病気への嘆きというよりも、切り取る臓器への愛の告白という印象だった。
部屋のなかで母とふたり、ほの暗い妙な空気が流れていた。
その会話が夢だったのか、現実だったのかが定かでない。
ちょうどその頃、フィリアということばを検索していたからそんな夢を見たのかもしれない。
そしてちょうどそのころ、母が食道がんの手術を受けました。
事前にかなり情報収集をしていたので、あらゆる想定や覚悟をしていたつもりだった。
…が、7時間弱に及ぶ手術が無事に終わり、ICUにいる母と面会して驚嘆した。
異様に母のテンションが高い。
手をバタバタさせて何か大声で言っている。酸素マスクに手を当てて外さんばかりの勢いだ。鼻から腕からおなかから、たくさんの管につながれている。大丈夫か?
これから手術ですかー?!?荒っぽく声を張り上げるその姿はまるで別人だった。
面会の直前に、執刀医から説明があり、麻酔から半分くらい目が覚めたところなので反応はあまりないかもしれないと聞かされていたのに、想像していたのとえらい違いだ。
母の取り乱しように、思わずわたしも
無事に手術が終わったんだよ~、よかったね、と大きな声で答えていた。
目を丸くして 何がよかったの~?!と言う。驚いた。
そして、あなたもビデオ見た?と聞いてきた。…ビデオ?
お互いに狐につままれたような顔を見合わせた。
集まった家族一人ひとりに同じことを聞いてきて、ずっと楽しみにしていた日舞の発表会に出ている夢でも見たんじゃないかと言い合った。
母は家族がそろっているのを見て、まるでお葬式じゃないのと顔をしかめた。
わたしもお母さんが勘違いするんじゃないかと言ってたんだよと笑うと、母は苦笑いをした。
また来るね、というと、帰らないで!と早口で言い、子どものように必死に手を伸ばしてきた。
下ろして!うちに帰りたい!やっぱり様子がおかしい。
折しもその日はわたしの誕生日で、母に今日の日付けをいうと
ジェスチャーでわたしの年齢を表し、得意げな表情をした。
このリアクションも、思えばいつもとちがっていたといえる。
しばらく家族と話しているうちに少しずつ現実に戻ってきたのか、
帰ることを告げると諦めるように手をふった。
あとから聞くと、手術の様子を撮っているのを家族が見ている夢(?)を見ていたらしい。
翌日、見舞いに訪れた次姉は、看護師に呼び止められ、麻酔から目が覚めた直後は暴れて大変だったと聞いた。そして家族と面会したあとも、家に帰るといって管という管を引きちぎったそうだ。
これは手術後に起こる「せん妄」とよばれる症状だった。
幻覚や幻聴も起こるそうだ。高齢者が大きい手術をすると大半の人が起きるそうだ。全身麻酔をすることで脳にダメージがあるのだろう。術後の見慣れない環境(ICUの無味乾燥の室内や管につながれることへの違和感)もその要因のひとつだそうだ。
姉は母に会うと、ここの看護師は勝手にいろんなことを決めちゃってダメだと声を潜めて愚痴をこぼしたそうだ。
一見、認知症と似た言動をするが、数日たつと平常に戻っていき、せん妄が起こっているときの言動もはっきりと記憶しているらしい。
完全に治まるまでは、1日のうちで何回か起こるらしい。なかでも情緒不安定になりやすい夕刻が多いそうだ。
つづきます。近い日に。