chiipuri’s diary

気の向くままにつづる日々のあれこれ

どうも、大変お久しぶりでございます。

やめようと思ったわけではないのだけれど、更新することがなくここまできていました。

アクセス数を拝見するとたまに見に来ていただいている方もごく僅かですがいらっしゃるようで、

そのような方には申し訳なく感じたりしております。

なので、再会のめどが立ちそうにないのでこのたびしばらくお休み宣言をさせていただきます。

こころのなかではあれこれと、わりとブログを書いているのですけどね。空想ブログが浮かんでは消えていってしまいます。 

 

何気ない日々のあれこれを何とはなしにどこかのだれかと共有したい気持ちでここに書き連ねておりました。

ブログが書けない理由について自分なりに考えてみたりもしていました。共感できる記事を見つけたんだけどすでに2年くらい前の記事で、タイムラグがあって自分にもその感覚が訪れたみたい。

また、日々接するインターネットの記事(ニュース、SNSなど)が無意識のうちに与えるひとの心への影響についてぼんやり考えておりました。長期的に見て。それらが身近な人間に与える影響や、コミュニケーションに与える変化について。

SNSがこれだけ発達している今、ただの情報交換だけでなく、こんなことを多くの人が考えて互いに語り合えたら面白いなと思う。こんなことを言っている時点で今の時代に合わないのかもね。めんどくさい、って。笑

人工知能が介入し、利便性がますます追求され加速していく世の中で、わたしたち人間がとるべき「人間らしい」行動とは何だろうか、立ち止まって考える必要があると思う。心がまえとか。だいたい機械化が進めば人間も機械のように動くことが望まれるじゃない?

SNS上で盛り上がり、ニュースに取り上げられる称賛や炎上はできるだけ見ないことを心がけている。それらを見つづけていることによって人のこころの動きが、まるで餌にわっと群がる反射行動のように思えてくるのだ。そうではなくても、それらの情報に接し続けていたらおそらく心の状態もそちらに寄っていくのではないだろうか。…というのも、私自身が社会に存在する見知らぬ人々に対して、良心的なものを感じにくい感覚になっていることに気づいたからです。

外見的な美の賞賛の話題を見つづけることによっても、醜形恐怖や加齢恐怖などの悪影響が引き起こされることもあるだろうね。過激な言動がとかく取り上げられ目につくことや、ネット上でいろんな声が飛び交うけど議論ではなく言いっ放しの気持ち悪さを感じること、ネットで散見される不快な記事や表面的にはそうでなくても受け手として不快に感じることについて、またそういうことに人がどれほど自覚しているのかに興味があるこの頃です。

ああ、こんなことをぶつくさ言っていることが年をとってきた証拠なのかな?

そうそう、塾講師の仕事で、わたしは若者である生徒にどんどん切り込んでいくことを決めました。親父的な角度で。笑 慣れるまではぶしつけで生意気だと思っていたけど正直でユーモアが好きな中学生の彼らとの化学反応を楽しみたいと思います。

 

…相変わらずの駄文ですみません。日曜日の真夜中の思考で。ただしゆるんだお盆休みのテンションで。

ではまた、いつか。